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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)4157号 判決

原告

藤巻達男

被告

西場平助

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三二二九万一二〇〇円及びこれに対する昭和五六年四月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五三年四月一九日午後一一時五五分ころ

(二) 場所 東京都北区赤羽二丁目六五番一一号先路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(足立三三す七三一五)

運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(品川五一ゆ七一三八)

運転者及び所有者 原告

(五) 事故態様 赤信号で停車中の被害車の後方から加害車が追突した(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

被告は、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であり、また、前方不注視の過失により本件事故を惹起したものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七〇九条の各規定に基づき、原告が本件事故により被つた損害につき賠償責任を負うものというべきである。

3  原告の受傷状況

原告は、本件事故により全治一か月以上を要する頸部捻挫、頸椎挫傷、腰椎挫傷等の傷害(以下「本件傷害」という。)を受け、複視、頭痛、頭重、耳鳴、手足のしびれ、腰痛の後遺障害(以下「本件後遺障害」という。)が残つた。

4  損害 合計三二二九万一二〇〇円

(一) 事故証明書交付費用 一〇〇〇円

(二) 被害車修理費 三万一六〇〇円

(三) 治療費 二五万八六〇〇円

(四) 逸失利益の一部 二〇〇〇万円

(1) 原告は、医師であり、昭和五二年に一三五七万五一一八円、昭和五三年に一四五〇万八一七〇円の年収がそれぞれあつたところ、本件後遺障害のため正常な勤務ができなくなり、労働条件の軽い病院に転職せざるを得ず、そのため、昭和五七年の年収が一〇二四万九〇五一円、昭和五八年の年収が一〇八七万九五三一円と減少し、年間約四〇〇万円の収入減となつた。その収入減は本件事故時から原告が稼働可能な六七歳までの一八年間にわたり発生するとみるべきであるから、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、四六七六万円となる。

四〇〇万円×一一・六九〇=四六七六万円

(2) 仮にそうでないとしても、本件後遺障害は自賠法施行令二条所定の後遺障害等級第一一級一号に該当するものというべきであり、したがつて、本件後遺障害による原告の労働能力喪失率は二〇パーセントとみるべきであり、就労可能年数を一八年間とし、本件事故の年の年収一四五〇万八一七〇円を基礎とし、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、三三九二万〇一〇一円となる。

一四五〇万八一七〇円×〇・二×一一・六九〇=三三九二万〇一〇一円

(3) よつて、原告は、右(1)又は(2)で算定された逸失利益の一部である二〇〇〇万円を請求する。

(五) 慰藉料 一〇〇〇万円

原告は、医師であるが、本件後遺障害のため医師としての正常な勤務につくことができなくなり、著しい精神的苦痛を被つたところ、右苦痛を慰藉するには一〇〇〇万円をもつてするのが相当である。

(六) 弁護士費用 二〇〇万円

原告は、弁護士である原告訴訟代理人に本件訴訟の提起と遂行を委任し、相当額の報酬等弁護士費用の支払を約束したが、このうち本件事故と相当因果関係のある損害として被告が賠償すべき額は二〇〇万円である。

よつて、原告は、被告に対し、前記の損害合計が三二二九万一二〇〇円及びこれに対する本件事故の日の後である昭和五六年四月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実のうち、加害車が被害車に追突した点は否認するが、その余の事実は認める。

原告の主張する本件事故とは、被害車と加害車のバンパーがわずかに触れたにすぎないものであつて、一般にいう交通事故ではない。すなわち、被告は、加害車を運転し、被害車に追従して進行していたところ、被害車が赤信号により停止したので、それに従い停止するため制動措置をとつたが、被告のブレーキの踏み込みが多少甘かつたため、加害車の停止が予想より遅れ、その停止と同時に加害車の前部バンパーのゴム部分が被害車の後部バンパーにわずかに触れてしまつたにすぎないものであり、その結果も被害車のバンパーのほこりが一センチメートル四方にわたつてとれただけであつて、両車共なんらの破損も生じなかつたものである。

2  同2(責任原因)のうち加害車が被告の所有であること、被告に前方不注視の過失のあつたことは認めるが、損害賠償責任は争う。

3  同3(原告の受傷状況)の事実は否認する。本件事故の態様からして、原告が本件傷害を負つた可能性はない、原告は本件事故前の昭和三四年二月二一日と昭和五〇年八月一四日にそれぞれ交通事故に遭つており、仮に原告主張の本件後遺障害があるとすれば、右二回の交通事故に起因するものである。

4  同4(損害)(一)ないし(五)の事実は否認する。同(六)の事実は不知。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は、事故態様のうち追突ないし接触の程度を除き当事者間に争いがない。

二  先ず、追突ないし接触の程度について判断する。

成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、証人中田隆治の証言及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、加害車を運転し被害車の後方を約一〇メートルの車間距離を置いて進行していたところ、被害車の制動灯が点灯したので制動措置を講じたが、加害車の停止が遅れ、停止していた被害車に追突したこと、追突した際加害車はほとんど停止状態であつたこと、被告には追突の衝撃はなかつたこと、原告と被告とはその場で被害車及び加害車の状況を確認したがなんらの損傷も発見できなかつたこと、事故直後届出を受けた警察官の両車の見分の結果は、加害車にはなんらの損傷も認められなかつたが、前部バンパー右側の緩衝用ゴムの部分に約一センチメートル四方の範囲に白いほこりが付着しており、これに対応して被害車の後部バンパーの左側部分に加害車が追突したとみられる約一センチメートル四方のほこりがとれた部分があり、同バンパーの表面に損傷はなかつたが、左側部分が若干中に押し込まれている状況があつたというものであること、乗用車の追突事故で追突した車両の前部バンパーが損傷する有効衝突速度は時速五キロメートルであることの各事実が認められる。そして、右事実を総合すれば、本件事故は、停車中の被害車に加害車が時速五キロメートルを相当下回るほとんど停止寸前の速度で追突し、被害車の後部バンパーの左側部分を若干中に押し込むような状況を残しただけの事故であると認められる。

原告は、本人尋問において、本件事故の際、衝突音と共に殴られたような衝撃を感じたこと、サイドブレーキを引いて停止していた被害車が約五〇センチメートル前方に押し出されたこと、追突されたのは後部バンパーの左側部分であり、同バンパーが押されて車体に少しくい込んでいたこと、そのため左右のリヤーフエンダー付近にひびがはいつた旨供述し、甲第七ないし第九号証には、原告は昭和五三年一〇月一七日に被害車の左右リヤーフエンダー、トランクパネル及びリヤーパネルの塗装修理等を依頼していること、修理代金は三万一六〇〇円であること、右修理は本件事故によるものである旨の各記載がある。しかし、原告本人の本件事故状況についての供述は前記認定の客観的な損傷状況に照らして到底措信することができず、また、被害車の修理も本件事故から約半年後になされたものであり、その間に別の原因で損傷を生じたのではないかとの疑念を払拭することができず、前掲甲第七ないし第九号証も措信することができないといわざるを得ない。他に前示の認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで、請求原因3(原告の受傷状況)について判断する。

1  原告は、本件事故によつて頸部捻挫、頸椎・腰椎挫傷、複視等の傷害を受けたと主張し、原告本人尋問の結果並びにこれにより真正に成立したものと認められる甲第二ないし第四号証及び同第一〇号証によれば、原告は、本件事故後勤務先の佐野厚生病院において受診し、頸部捻挫の傷病名で昭和五三年四月二〇日から昭和五四年六月六日まで治療を受け、その間項部痛、耳鳴等を訴えていたこと、その後新たに勤務するに至つた田園調布総合病院においても受診し、頸椎挫傷、腰椎挫傷の傷病名で治療を受けたこと、その際頸項部痛、肩凝り、左上肢尺側のしびれ、腰痛等を訴えていたこと、また当時から原告は複視を訴えていたこと、右各愁訴は本件事故後現在に至るまで続いていることが認められる。

2  しかしながら、成立に争いのない乙第七号証、いずれも原本の存在及び成立について争いのない甲第二〇号証、乙第五号証の一、二、同第一一号証、同第一三号証及び同一四号証の一、五、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証の一、二、証人兼鑑定証人杉浦和朗の供述並びに弁論の全趣旨を総合すると、(一)原告は、本件事故の前である昭和三四年二月二一日交通事故に遭い(以下「第一事故」という。)、左側頭骨皹裂骨折、脳震盪、後頭部挫創等の傷害を負つて入院治療を受け、その後遺症として激しい頭痛、頭重、腰痛等がある旨を訴えていたこと、(二)その後、原告は昭和五〇年八月一四日再度交通事故に遭い(以下「第二事故」という。)、頸部捻挫、腰部挫傷、中心性脊髄振とう症と診断されて入院治療を受け、その後遺症として頭痛、頭重、耳鳴、両手のしびれ感、両上肢脱力感、腰痛及び複視等が残存したと訴えていたこと、(三)第二事故による後遺症について昭和五五年五月ころにされた鑑定においては、原告の主訴は頭痛、頭重、項部痛、両上肢手袋状異常感覚、耳鳴、腰背部痛、複視であり、このうち複視を除く各症状は第二事故に起因するものであること、症状継続の根源には心因的なものが強く関与している可能性を否定できないこと、複視は本件事故によるものであるとの判断が示されているが、右鑑定は、その担当医師である杉浦和朗が、原告から、第一事故による受傷は外来で簡単な処置を受けただけであり、また、複視は第二事故から数年を経て生じたものである旨の説明を受け、これと本件事故前の診断書に複視についての記載がないことを根拠としてされたものであるが、第一事故による原告の受傷及び後遺症は前記(一)のとおりであり、また、原告が本人尋問において、複視になつたのは第二事故が起きた昭和五〇年からであり、当時の診断書にその記載がないのは診断を受けていた佐野厚生病院に眼科の医師がいなかつたからであると供述していることに照らすと、前記鑑定の前記判断部分は採用することができず、昭和五五年当時の原告の愁訴(複視を除く)は第一事故及び心因性によるものといえること、(四)前記鑑定によれば、昭和五五年五月ころ、原告には頭部、頸椎、内耳道、腰椎の各レントゲン撮影及びCT検査で、前屈時の頸椎直線化以外に異常は見られなかつたこと、(五)原告は、昭和五七年一二月八日にも交通事故に遭い(以下「第四事故」という。)、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を受け、後遺症として頭痛、項部痛、肩甲部痛、上肢のむくみ、上肢のしびれ、腰痛、耳鳴、複視等が残存したと主張して訴訟を提起し、同訴訟において第四事故以前には右諸症状はなかつたと供述していること等の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右各認定事実にさきに認定した本件事故の態様、衝突時の加害車の速度、被害車の損傷の程度等を総合すれば、本件事故により原告が受傷したとは考えにくいうえ、原告主張の諸症状を明確に裏付ける他覚的所見に欠け、原告の供述には一貫性がなく、右諸症状の存在は確実とはいい難いというべきであり、さらに、原告が本件事故による受傷及び後遺症として主張している諸症状は、第一事故の受傷及び後遺症又は第二事故の受傷及び後遺症とされたものと同じであつて、仮に原告主張の右諸症状が存在したとしても、第一事故又は第二事故に起因するものと考えられ、また、前記のとおり本件事故の衝撃はごく軽いものであつたから、本件事故が第一事故又は第二事故によつて生じていた原告の諸症状を増悪させたとも考え難いということができる。

3  以上説示したところに照らして考えると、前記1で認定した本件事故後における原告の通院治療及び愁訴の事実から本件事故により原告が受傷し後遺症が残存したとの原告主張事実を推認するのは相当でないというべきである。その他全証拠によるも原告の右主張の点を肯認するに十分ではない。

四  次に、請求原因4(損害)について判断する。

1  請求原因4(損害)の(三)ないし(五)の損害は、原告が本件事故によつて受傷したことを前提とするものであるところ、この前提が認められないことは前示のとおりであるから、被告に右各損害の賠償義務のないことが明らかである。

2  また、同(二)の被害車修理費については、前記認定のとおり、本件事故による被害車の損傷は後部バンパー左側部分が若干押し込まれている状況が生じただけであるところ、原告本人尋問の結果によると、被害車は昭和四三年式の車であつて、本件事故まで約一〇年間使用されていたものであることが認められ、これらの事実を総合すれば、被害車に生じた右状況は、被害車の機能についてはもとより、その全体的外観についても影響を及ぼしたものとはいえないから、不法行為制度上賠償すべき損害とはいえず、右状況についての修理の必要性も相当性も認めることができないものというべきである。

3  請求原因4(一)の事故証明書交付費用及び同(六)の弁護士費用はいわゆる結果損害であるから、前示のとおり本件事故により原告主張の本件傷害及び被害車の損害が生じたとはいえず、したがつて、被告の原告に対する不法行為の成立が認められない以上、被告が原告に対し右各費用につき賠償義務を負う余地はない。

五  以上のとおりであるから、原告の本訴請求はすべて理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田保幸 中西茂 竹野下喜彦)

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